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活動地域からの声【第七回】

2012年02月27日

当団体の活動地域に住む人々の歩んできた人生をインタビューし、みなさんにお伝えする「活動地域からの声」
前回に引き続きプレイピール村からお送りします。

活動地域からの声【第七回】

今回はプレイピール村に住むトリィ・チャントリーさんのお話をご紹介します。
トリィ・チャントリ−さんは農業訓練にも熱心に参加しています。お話を伺った7月時点ではまだ農業訓練が始まったばかりでした。その後、12月に再会した際には 明るい笑顔で「農業訓練が楽しくて仕方ない。これからも村の皆と一緒に頑張りたい。」とおっしゃっていました。
内戦時代、難民キャンプで避難生活を過ごした人の多く住むプレイピール村は、村人同士のコミュニケーションが希薄な村でした。しかし今、農業訓練を通して少しずつ コミュニケーションが取れ始めているようです。

トリィ・チャントリーさん

 私は自分の誕生日は覚えていません。生まれ育ったのはポーサット州です。
 内戦前、私は学校に通うこともでき友達もいて楽しく遊んでいました。そして家族 と共に幸せ農業をしながら暮らしていました。  内戦中、幸せだと思えることは何一つなく、いつも恐ろしかったことだけを覚えて います。働くだけで学校にも行けませんでした。
 ポーサット州から離れたコミューンに連れて行かれ、強制労働をさせられました。 コミューンはあまりに遠く、どこにあったのかも分かりませんでした。どの村か、ど の郡かも分かりません。私はそれを覚えているにはあまりにも幼く、今でも分かりま せん。そして忙しく働き、食べるものは少なく、いつも空腹だったことを覚えていま す。

 内戦が終わって、本当に嬉しかったです。しかし、両親は内戦に巻き込まれ、亡く なっていました。
 もうこれ以上、カンボジアにいたくない。そう思って私はタイ側の国境を越えたと ころにある難民キャンプに行きました。(※)1993年に向かい、クメール・ルージュ が完全に瓦解する1997年までそこにいました。その後、プレイピール村へやってきま した。

 今、毎日の生活は幸せです。いつ殺されるかもしれないといった恐怖や緊張感はあ りませんし、食べるものはあります。しかし、村には小さな道しかないので、雨季に は物資が不足してしまうのが難点ですね。それに、村人は雨季には街の中心に行くこ とができません。道が寸断されてしまうからです。それが今、一番困っていることで す。(2011年7月時点でのインタビュー。その後、当団体の建設した道路でバッタン バン州の中心街へのアクセスは良くなった)

 将来は、商売をやって、もう少し良い生活を出来ることを夢見ています。

(※難民キャンプ:内戦中から、戦禍を逃れて多くのカンボジア人が国境を超え、タ イで避難生活をしていました。プレイピール村には難民キャンプから帰還した避難民 が多く住んでいます)

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